株式会社ディアー・カンパニーが運営する鹿牧場です。
雲仙鹿牧場は島原の乱や雲仙普賢岳で有名な長崎県島原半島にあります。
見上げれば普賢岳の平成新山、眼科には橘湾を望む風光明媚な場所です。

雲仙鹿牧場は総敷地面積24ヘクタール(東京ドームおよそ5個分)の面積で、約1000頭の鹿を飼育しています。鹿に与える主な資料は、自社で生産している牧草の他、米ぬか、改装、木の皮などです。

雲仙鹿牧場で鹿を飼育する主な目的は「鹿の袋角」の採取を行なう事です。

 
 
鹿の袋角は江戸時代後期頃までは現代と比べると非常に知名度の高い生薬でした。しかし、一頭あたりの採取量が圧倒的に少なく、高貴品とされた為、身分の高い人達の手にしか渡ることはなかったとされています。日本の歴史上では、徳川家康や徳川光圀(水戸黄門)が愛用していたと言われています。

 日本でもまだ袋角の知名度が高かった江戸後期にオランダから日本の伝統医学とは別の医学が入ります。これは「蘭方」と呼ばれました。蘭方では鹿の白角の粉末を「鹿石」と呼び、動悸の治療薬などにしていましたが、鹿の袋角については薬として扱われることはありませんでした。

 一方、このころ新しく入ってきた蘭方に対して、日本の伝統医療は「漢方」と呼ばれるようになりました。漢方を扱う医者を「漢方医」と呼び、江戸後期では圧倒的大多数が漢方医であり、蘭方を学ぶ「蘭方医」とは対立状態にありました。そんな中、新政府軍と旧幕府軍による戊辰戦争が始まり、これがきっかけで、「漢方」対「蘭方」の対立に決着がつきます。この戦争による負傷兵の治療に漢方医、蘭方医の双方が駆けずり回ります。しかし、漢方は自己治癒力や免疫力の増強によって、体の内側から健康を保とうとする医学です。深手を負った兵士に対しては外科手術を得意とする蘭方が圧倒的に有利だったのです。これを受け、明治政府は明治八年に戊辰戦争で活躍した蘭方(西洋医学)を修めたものだけを医者と認める法律を施行しました。そのため、大多数だった漢方医は、ほとんど姿を消していきました。

 これにより、漢方薬については患者の症状に合わせて西洋薬と合わせて処方する極少数の医者がいたり、家庭で症状に合わせて摂取する、所謂「民間薬」となりました。現代の「健康食品」と同じ扱いです。その後、極少数の漢方の有効性を確信する医師達が、漢方と西洋医学との共存を説き、様々な議論がなされ、ようやく昭和五十一年再び漢方薬が政府に認められ、処方されるようになりました。
 さて、このとおり漢方が医学として認められない期間がおよそ百年あった訳ですが、その間「鹿の袋角」はどのように扱われていたのでしょうか。

 実は、国内で採れた鹿の袋角は海外へ輸出されていたのです。海外でももちろん、高貴品とされていたので、高値で取引される鹿の袋角は輸出品として重宝されました。
 また、明治後期から昭和初期にかけては鹿の乱獲が行われ、日本各地の鹿が絶滅寸前となった為、鹿の狩猟が禁止され、さらに国産の鹿の袋角を手に入れることは難しくなってしまいます。

 このようにして、日本人のほとんどが鹿の袋角を手に入れることができなくなり、日本での知名度は低下の一途をたどりました。今ではその有効性を知るわずかな日本人や日本国内の製薬会社が海外から輸入しているといった状態です。海外産の鹿の袋角も希少品、高貴薬とされ、今も変わらず、かなりの高値で取引され続けています。

 
 
 「鹿の角」と聞いて思い出されるのは白くて硬い枝分かれした骨のような角です。インターネットで「鹿の角」と検索すると、この白い角がペットの餌やインテリア用品として販売されている事がわかります。鹿の袋角は、この白い角になる前の柔らかい角で、袋角の他に「幼角(ようかく)」と呼ばれることもあります。袋角は3歳以上のオス鹿の春〜夏にかけての期間に生えているものです。鹿はこのわずかな期間に袋角へ血液や髄溶液を集中させ、外敵との戦いや、繁殖期のオス同士の戦いに備え袋角を伸ばし、その後白い角を生成していきます。そのような理由から、袋角は1日に1~2僂箸いΑ△箸討弔發覆だ長速度で伸びます。袋角の状態である期間は短く、なかなか目にすることが無いため、一般にはあまり知られていません。また、白い角は非常に硬く武器として使用すると、傷ついて折れたりする場合があります。しかし、白い角は状態を問わず毎年春先に抜け落ち、また新しい袋角が生えます。鹿はこの【袋角が生える→白い角になる→白い角が抜ける→袋角が生える】のサイクルを毎年繰り返します。

 抜け落ちては生え変わり、急速に伸びる鹿の角は、古くから「再生」の象徴と崇められ、神秘的なパワーを持つ物であると今なお、珍重され続けています。

 
 
 鹿の袋角は中国で3大高貴品と呼ばれ、古くから珍重されてきました。
なぜ鹿の袋角が高貴品とされるのかと言うと、1頭の袋角から採取できる量が極わずかであるためです。鹿の袋角は同じ鹿から採取したものでも、部分によって価格が大きく異なります。切り取った袋角の上の部分を「上台」、中間部分を「中台」、それ以外の部分は「下台」と、3種類に分けられます。

 袋角の上の部分である上台がアミノ酸やホルモン物質などの含有量が多く、価値も高いものとなります。下の方に行くにしたがって、アミノ酸やホルモン物質の含有量は減少し、カルシウム成分が多くなり、価値も低いとされます。この上台、中台、下台は鹿の状態や採取時期によっても異なり、採取後、加工した切片を見て判断される事が殆どです。当社の健康食品は、この上台から下台までをまんべんなく混ぜ合わせ使用しています。

 そして、鹿の袋角価値を分ける基準がもう一点あります。それは、鹿の袋角の採取時期です。春先から初夏にかけて採取する鹿の袋角は頭荘茸(トーチャンロン)と呼ばれ、栄養成分が豊富で価値が高いものとされます。ちなみに、頭荘茸は中国での呼び方で、馴染みが薄くわかりづらいため、雲仙鹿牧場では「一番角(いちばんづの)」と読んでいます。その後、再び伸びた袋角を8月頃にもう一度採取します。中国ではこれを二荘茸(アーチャンロン)と呼び、成分的にはカルシウム分が多く、価値は低いとされています。雲仙鹿牧場では「二番角(にばんづの)」と呼んでいます。

 当社では、二番角を鹿の白角に分類して、「鹿角膠(ろっかくこう)」・「鹿角霜(ろっかくそう)」という鹿の袋角とは全く別の商品として取り扱っています。日本にも海外産の鹿の袋角が輸入されていますが、商品に加工された段階の原材料表示には上台、中台、下台や頭荘茸、二荘茸などの表示が不要であるため、玉石混合の状態となっています。

 海外産の袋角にも大変良いものがある事は間違いありませんが、鹿の袋角の加工についてあまり明るく無い一般の方にとってはなかなか見極めが難しいのが実情です。当社では徹底した品質管理を行ない良質な鹿の袋角のみをお客様にご提供することをお約束いたします。ぜひ一度「雲仙牧場鹿の袋角」をお試し下さい。

 
 
 昭和五十二年、獣医であった先代が当社の基盤となる白浜シャロレー牧場を設立しました。シャロレー牛という品種(脂身が少なく欧州で高級肉として扱われる)の繁殖と肥育目的でしたが、脂身を好む日本人にはなかなか馴染みませんでした。さらに、輸入緩和により日本国内での牛肉価格の下落が懸念された為、昭和五十四年頃から、鹿の家畜化研究に着手し始めました。

 昭和五十七年、鹿の袋角がようやく採取できるまでに育ち、厚生省の薬務課に今後販売していくに当たっての相談に赴いたところ、「鹿の袋角は医薬品なので医薬品の製造許可が必要になります。」との回答がありました。許可なく袋角を採取する事は薬事法違反になり罰せられるとの事。先代は急ぎ長崎大学と「鹿茸」の共同研究を始め、製造方法など試行錯誤を重ね、平成元年に当社の鹿の袋角は「医薬品」として認められました。6年の歳月を費やし、ようやく販売ができる状態になりました。

 ちょうどこの頃、当社の鹿牧場設立に相次いで、全国に鹿牧場が次々に出来始めました。国から鹿牧場の設立・運営は「養鹿(ようろく)事業」と呼ばれるようになり、「全日本養鹿協会」という組織が設立され、国からの補助金なども出るようになりました。最盛期には全国五十六ヵ所に鹿牧場があったとの事です。当社にも全日本養鹿協会から加入の打診や、講演依頼などの話が頻繁にありましたが、先代は他に頼らず、自身の信念に基づいて事業を行うことに精一杯だったため、当時、お誘いや依頼の類は全てお断りしていました。

 この養鹿事業の拡大化による影響などもあってか、平成三年、今まで医薬品とされていた鹿の袋角は品種によっては「食品」として扱われることになりました。
 当社ではすでに「鹿茸(医薬品)」として、製薬会社との取引をおこなっていたのですが、当社が取り扱っていた「鹿茸(医薬品)」も、今後は「鹿の袋角(食品)」として扱っていくことになりました・・・。

 そのような紆余曲折を経験しながら、なんとか軌道に乗り始めた、平成十五年頃にBSE(狂牛病)問題が発生します。

 これまでの養鹿事業へ向けられていた補助金は牛肉への不安の払拭や消費再生に関する事業に充てられました。一般消費者からは鹿肉も敬遠の的となり、養鹿事業への影響も甚大なものでした。

 結果、五十六ヵ所あった鹿牧場は壊滅状態となり、残ったのは唯一、当社の雲仙鹿牧場だけでした。日本全国の物産展に出店し、健康食品の販売を実施しておりましたので、百貨店を通して皆様からの変わらぬご支援・ご愛顧をいただき、大きな影響を受けず、存続することができました。

 その後、日本で新たに数か所の鹿牧場ができましたが、現存する鹿牧場の中では、当社が日本一歴史が古く最大規模であることは言わずもがなであります。

 このような背景もあって、南島原市の地域資源(地域特有の名所や産物)に当社の鹿が認定され、現在も皆様に自信をもって商品をお届けしています。